読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

どうしようもない人間のくせにどうしようもないほどももちが一番好き

気がつけば3月になっていた。ボーッとしてたら時間が過ぎていた。と言いつつ今この瞬間もモヤモヤしてて。頭の中がぼやけてて。昨年11月にももちこと嗣永桃子さんが卒業発表をしてからもう4ヶ月も経った。6月30日まであと4ヶ月しかない。何もしないまま春になった。そして6月30日に春が終わる。その後はきっと夏が来ないまま夏が終わる。秋も冬も来ないまま終わる。なんてことがあるんじゃないかと思ってる。6月に春だけじゃなく四季そのものが終わるそんな気がしてる。私の青春が終わるんだと思う。さっき日付が変わって3月3日になった。日本では女の子のための日。ひな祭り。でも私にとっては大好きなアイドルグループのデビュー日。今からちょうど7年前の2010年3月3日。Berryz工房が自らのデビュー記念日でもあるその日に「雄叫びボーイ WAO!/友達は友達なんだ!」というシングルをリリースした。そのうちの一曲「雄叫びボーイ WAO!」を聴いて私はBerryz工房に出会った。たまたまテレビでやっていたアニメのEDテーマだった。菅谷梨沙子さんの声がとにかく迫力あって気になった。そしてMVを観て気づいたら好きになってた。きっかけは菅谷さんの声だったし菅谷さんはとても魅力的だったけどそのうち嗣永桃子さんばかり見ていた。アイドルがいた。桃色だった。黒髪だった。色白だった。まだ自分がギリギリ小学生の時だった。Berryz工房との出会いがアイドルとの出会い、ハロプロとの出会いだった。嗣永桃子さんとの出会いだった。それからずっとももちが好きだ。ハロプロが好きだ。いろんなアイドルがいてどのアイドルも面白いし好きだけれど、やっぱりハロプロが一番好きだ。それはずっと変わらない。でもハロプロが好きで、大好きで、とにかくとにかく好きなのに、ハロプロが苦手だ。それはそのまま、ももちにも当てはまってしまった。ももちが大好きで、一番好きで憧れで尊敬しているアイドルで。なのにももちを避けてしまう瞬間があった。でもハロプロは、ももちは当然何も悪くない。私がとにかく弱かった。そして今もまだ変われていない。今から数年前、中学校を卒業したばかりの春休み。私は、当時一番好きだった(今でも大好きだけど)ロックバンドのライブに行った。生まれて初めてのライブだった。中学生の私はそのバンドの音楽を聴いているときだけが青春、ってな感じの日々だった。だからライブ当日までずっと胸が騒いでいた。なのに。帰りの電車ではあれだけ騒いでいた胸がとても静かで。というより空っぽで。とてつもなく空虚な体が電車に揺られている。今となってはその感覚しか残っていない。ただ一つ覚えているのはその帰りの電車。隣県の地方都市からド田舎までだから片道2時間半。そのうちの半分くらいまで一緒だった男1人女2人の男女が同じライブに行っていたであろう会話をしていて。その声はとても興奮していて何より楽しそうだった。そこにライブ後の意味不明な虚無だとか孤独は無いように思われた。ライブハウスの轟音や輝きにあてられて、そこから外に出た瞬間のあれはなんなんだろう。私はその時に。ライブハウスから出たそのときに思ってしまった。来なければよかったと。その感情を立証するかのように私はダブルアンコールの声の中にはいなかった。その声声をライブハウスの外からうっすら感じながらエスカレーターを駆け下りた。逃げるように外に出た。結局バスは当分来なかったのでライブ後の他のファン達とバスで一緒になったけど。そのバンドは今でも好きだ。ライブでの演奏や佇まいだってカッコよかった。それまで好きで聴いていたどの曲もやっぱり好きなままだったし。何よりライブハウスの照明に照らされて光り輝いてた。光り輝いていた。自分の影が目立った。どうしようもない気持ちになった。なぜそこでそんな気持ちになる必要があるのだろう。純粋に目の前で繰り広げられているものを楽しめばいいのに。ステージを見上げていればいいだけなのに。あるいは好きな音楽を純粋にただ音楽として聴いてればそれでもよかったんだろうし。なぜそこで下を向いてしまったんだろう。自分の足元を見てしまったんだろう。そんなのしょうもないに決まってるのに。目の前でかっこよく歌ってる人とかっこよくない私。大勢を楽しませる人と誰も楽しませられない私。楽しませてもらってる大勢の1人に過ぎない私。にも関わらず純粋に楽しむことすらままならないどうしようもない私。被害妄想だ。無駄な自意識だ。アーティストは全力で向かってくれてるのにこちらから逃げているんだ。分かっている。分かっているはずなのに結局。その日からずっと逃げ続けている。今も。今もボヤけている。これを書いている今も。もしかしたらその日既にある種の青春は終わったのかもしれない。だからボヤけてるのか。それとも先日のかげおくりが目を瞑っても残るのか。実は先日、人生で二度目のライブに行った。その日から数年経ったこの日。今度はライブというよりコンサートか。大好きなハロプロのコンサート。小学生の頃からずっと大好きなハロプロの。でも小学生の頃から大好きと言いつつ一回もライブには行ったことがなかった。いつか行くんだろうな、みたいにはなんとなく思ってた。でも中学生の時に初めて行ったライブでライブというもの、アーティストというもの、本物というもの、何者かというもの、音楽、ミュージシャン、アイドル、お笑い芸人、俳優、とか何もかも。が遠くなった。というより元から遠いのに気づいてなかっただけだ。そして気づいた。世界が違う。触れようとしても触れられない。生で見ても見ていない。そこには透明の壁があるから。見えない液晶画面があるから。生で見ても見れていないならスマホでパソコンでテレビで見たって一緒だ。むしろそれでいつも勇気づけられたり希望を見出せたりしてるんならもうそれでいい。もうおとなしく家で一筋の光を頼って生きてれば、息をしてればそれでいい。布団の中でもライブハウスでも一緒なんなら虚無が拡大されないだけ布団の中の方がまだマシかもなーなんて無理やり納得したつもりになった。そしてライブには行かないと決めた。まあ別にそう決めたわけではないけど行きたいとも思わなかった。だってあんな思い二度も経験したくないし。ライブハウスから外に出た瞬間のあの感覚。気持ち悪い、いや気持ち悪さすらない何もない、いや何もないことが気持ち悪いあの感覚。いやいや、違う。何かはある、ありまくる、ありまくって手に負えないからないことにしてる、ないと思い込もうと自分の無意識が頑張ってるそんな感じもするけど気づかないようにしてるあの感覚。とにかくいい感覚ではない。二度も味わいたいものではない。だからライブには行かなかった。それにアイドルなんて尚更だろうとも思ってた。思ってたのに行った。先日。2月25日広島。2017年冬のハロー!プロジェクトコンサート千秋楽。ももちにとって最後のハロコン。要するにそういうことだった。今回だって行きたいとは思ってなかった。実際私は、Berryz工房のラストコンサートすら行っていない。でも。本人も言ってたけどももちにとって最後となるものが増えてきていて。今回のハロコンもまさにそれで。なんか。後々に自分でも思いがけず後悔することがあるのかもしれないとその時思った。都合のいい話かもしれない。Berryzのラストすら見届けられなかった人間なのに。私は。おそらく、そのくらいももちのことを好きになっていた。数年の間に自分でも気づかないほど、推しが推しになっていた。最後は行っとかないと。なんてある種当たり前の感情なのかもしれないけど、でもそれを私ですら思うのかと思った。行きたいというより今行っとかないと、という感じだった。けど。そんな気持ちの拡大、ももちのことが好きだという真実、そんな好きな存在がもうすぐ卒業してしまうという事実、それに対する焦り、とかそういうものがあったからこそ、気持ちが先行するくらいだったからこそ、行こうと思ったんだろうけど。やっぱり。やっぱり、そんなのとは裏腹に自分自身はとことん変われていなかった。何度も言うけどももちが好きだ。大好きだ。憧れだ。希望だ。光だ。救いだ。アイドルだ。なのにやっぱり避けてしまった。眩しいと目を瞑ってしまうのか。そんな自分に辟易した。ももちはコンサートの間ずっと輝いていた。誰よりもアイドルだった。そして私も、それを感じようとした。今この瞬間を自分の体に刻もうと、ももちの最後のハロコンでのパフォーマンスを少しでも残そうとした。なのにそういう実感を得ようとすればするほど。ももちがステージで歌っていて私は同じ空間でそれを見ている聴いているそう感じようとすればするほど。意識的に知覚しようとすればするほど。なぜかももちがより遠くにいるように思えてしまった。いつもスマホの画面で見ている存在。下手したらそれよりも遠くにすら思えた。なんで。ずっとそうだ。だから私はまた目を背けてしまった。最低だ。最悪だ。「ギャグ100回分愛して下さい」の最後。ももちが“何よりもこの瞬間が世界で一番好き”と歌ってくれたのに。ステージのももちと客席のファンが何にも代え難い幸せをぶつけ合うその瞬間だったのに。私は“ももちが好き”と言いそびれた。また自分のことばかりだった。その空間その瞬間だけでも、ももちのことを考えられてればよかったのに。それさえできればよかったのに。それができたらきっと幸せなのに。なんでこうも内を向くんだ。こんな自意識なら、無い方が良かった。つまらないプライドのせいで。無駄な自意識のせいで。ピーナッツバタージェリーラブのももちの歌声もそのまま耳に入るはずなのに何かが間で邪魔をした。フィルターがかかってた。最後の譜久村さんと和田さんがももちを舞台に残すとこも。その後のファンのももちコールも。そしてももちの最後の言葉も。どれもこれも本当に美しいものなはずで、だからこそその時その場にいれた自分の幸せを感謝すべきはずで、その感謝をストレートに最後のももち最高コールの中の一人となってももちに伝えなければならなかったはずで。なのに、また逃げた。真っ先に会場を後にしてしまった。また外から聞いてしまった。みんなが全力で向かい合っているのに。ももちが全力でアイドルとしていてくれてるのに。その時間も残りわずかなのに。だからこそブログで「6月末まで一緒に走りぬけましょう」と私たちに言ってくれたのに。そのブログのその言葉が本当に嬉しくて幸せでブログのたった一文で人間そんな嬉しくなれるなんて思わなくてだからやっぱりアイドルももちが好きだーって思ったのに。なのに私は走りぬけるどころかまた一歩引いてた。周りはみんな強いファンだ。真っ当なファンだ。そして、そんな強いファンみんなに平等に愛を与えてくれるももちは何より強い。私だけがいつも弱い。思い返すと数年前もそうだった。Berryz工房を好きになって少し経った頃、ももちがももちになろうとしていた。嗣永プロからももちに。めちゃイケでももちが加藤浩次さんに蹴られたときに何かが始まった感じだった。ももちもその頃にはもう覚悟を決めてたんだろうなと思う。そしてその時も私は目を背けた。ももちがあまりにも強くて。自分があまりにも弱くて。それでも、ももちが好きだった。気づいたときにはもう好きだったから。ももちが大学に四年間通い卒業したと知った。多くのファンに夢や希望や笑顔を与えながらも、テレビでは時にいじられたり時に少し体を張ったりして名を広めた。更にそれと並行して大学でしっかり勉強してしっかり卒業した。私は誰も笑顔にすることなんかできないくせにいつも痛みや恐怖などは避けて通る高卒だ。果たして私がももちを応援していいのかわからなかった。見合ってないと思った。そもそも私は誰かを応援できるような立場ではないと思った。まず自分が頑張れよと言われても仕方ないと思った。怖い。だけどももちは変わらず笑顔だった。結局いつも救われていた。私ばかりが救われた。生かされた。何も返せないのに全てを与えられた。本当はそこで自分も頑張らなきゃとか思わないといけない、そう思うのが真っ当な人間のはずなのに私はまた逃げる。怖い。果たして心を入れ替えて努力したところでその先に待つ不安や恐怖に耐えられるだろうか。努力の道のりには必ず困難が付きまとうだろうけど私はそれが怖い。誰にも怒られたくない。それでも頑張らなければそれはそれで怒られるから少し頑張る時もあった。でもそうやって言われるがまま頑張ってしまったことによって、やっぱり頑張らない人間は生きていけないんだといよいよ自分自身に言い告げられて気づいてしまうようでそれも怖い。とかまあ結局全部自分が弱いことへの言い訳でそんなのをダラダラと並べだす始末。とにかくどうしようもない人間。なのに、それを自覚しているのに、何もしない。やってもいないのに決めつけて逃げる。恐怖にぶつかる前に逃げる。だって怖いから。真逆だった。ももちと、ハロプロと、真逆の人間だった。だから避けてしまうのかもしれない。好きなのに。好きなのに怖い。アンジュルムの混じり気のない多幸感や勢いが。Juice=Juiceの洗練された姿が。こぶしファクトリーのギラギラした力強さやつばきファクトリーのキラキラした気高さ、それらを生み出したハロプロ研修生のストイックが。モーニング娘。という名前がもつ重圧に真っ向から立ち向かうメンバーたちの健気さが。そしてカントリーガールズの可愛さ。尊さ。煌めき。それに私は弾かれてしまうと思った。美しくて。強くて。崇高で。私なんかは。
とここまで書いて寝落ちしていた。泥のように10時間も眠っていた。泥人間だ。結局今日も現実逃避の睡眠から始まった。そしておそらく明日も。変わらない日々だ。起きてTwitterを見たら、多くのファンがBerryz工房のデビュー記念日を祝っていた。私はこんな落書きをしているうちに日をまたいで、気づいたらそのまま寝ていた。起きたら昼前で遅刻ギリギリだった。遅番の仕事を終え、帰ってきてこれを書いている今はもう24時をとっくに回っている。3月4日。いつもこうだ。大事な時、何かをしなければいけない時にどこか違う方を向いていて。気づいたら過ぎている。桃の節句が終わった。そしてももちの誕生日が目の前だ。でもまた逃げるのかもしれない。そもそも自分の誕生日もめでたく思えないような人間だった。死にたいとか消えたいとか。そんなことばかり言って親を悲しませる。そんな人間が人の誕生日を祝えるものだろうか。なんてこんなことを書いているけど本当はただBerryz工房のデビュー記念日お祝いツイートをしようと思ってただけだ。気づいたらこんなにダラダラと書いてる。一体140文字で何を書くつもりだったのだろう、と今となっては思う。それどころかこの落書きにはもはや終わりが見えない。なんとなく少しでも胸のつかえを吐き出そうとしていたんだろうけど、全く吐き出ていない。もしキリのいいところまで書けたとてそのモヤモヤしたものが消化されるとは到底思えない。そのくらい心象がぐちゃぐちゃで今も何を言っているのかわからなくなってて昨日もわからないからわからないまま諦めて寝た。でも今日も書いてる。Berryz工房のデビュー記念日も祝えなかったのに。なんで書くんだろう。やっぱり。やっぱりそれでも、ももちの卒業までに少しでも消化していたいなんて思ってるのか。わからない。カタルシスみたいなものを全否定するかのような落書きだ。右肩下がりの徒然草だ。最悪だ。でも、ももちが好きじゃなかったらこんなもの書くはずないし、好きだから書いてるんだ。とはいったものの。ももちが好きだということをただ書きたいけどそこになぜか必ず自分の情けなさとかがちらついてくる。ハロコンの次の日とかは本当に消えたいなあと思ってた。家で一人で。自分の存在価値がなさ過ぎて一人でもがいた。いっそのこと早く6月30日になってくれた方が楽なのかもしれないなんて思いかけた。思いかけた、でもそれだけはやっぱり思えない。思っちゃダメだ。そんなわけない。ずっとももちが一番のアイドルだった。今になってそれが自分の青春だったと気づいてる。だから。だからやっぱりまだ死にたくないとは思った。ももちに救われてきたと思ってる。ももちがアイドルとして闇も照らしてくれてたからなんとかギリギリ歩いてこれたと思ってる。だから今自分が勝手な逃避で死んだりなんかしたら、その今まで自分を救ってくれたももちのアイドルとしての輝き、光までも否定することになりそうでそれだけは嫌だと思った。まあ、実際には私なんかが一人で死んだからといってそれだけでももちがアイドルとして生きた歴史の美しさや尊さが色褪せることなんて絶対にあるはずないんだけど。でも私の、私の中での心の持っていき方として、強引かもしれないけど今はもうそれくらいしかない気がする。それでまだ生きられるというか。6月まではやっぱり死ねない。そこまで生きたところでその先に自分がどうなるかなんて全く想像がつかないけど。でもとりあえず明日はまた仕事に行ってちゃんとやって帰ってこよう。それくらいしかできない。こんなにモヤモヤし続けてるけどそれくらいはしないと。と思うようにしている。わからない。わからないばっかだ。あるロックバンドの曲の歌詞に“青春が終わって知った/青春は終わらないってこと”というものがある。自分も7月以降そんな風に思える道に合流できたらいいんだけど。それもわからない。そんなのやっぱ無理かなあ。生きてるかもわからないのに。でも先日。ハロコンから帰ってきた翌日。も相変わらずわからないだらけでなんかその日もやっぱりゾンビみたいだなー自分って感じでその中それでも僅かに残っていた生前の本能がスマホradikoを開きカントリーガールズのラジオを聴いていた。5人がももち先輩卒業後のことを語っていた。未来のことを。森戸さんが決意を示して船木さんが泣いた。ああ、尊い。と思った。その未来に、同じ時に、私が生きられてるかはわからないけど。生きてたとして私がまだハロプロを好きなのかはわからないけど。それでも。ああ、尊い。美しい。と思った。
3月5日になった。右肩下がりのまま、ドラマティックな上昇展開があるわけでもなく続いている。この文章、というよりただの吐き出しメモ。落書き。明日への希望とか見出せそうにない。まあ全部自分の体たらくにすぎないんだけど。明らかにつぶやきの範疇を超えたからiPhoneのメモを使っている。でも一体なんのために書いてるのだろう。本当に。今日は昨日とは真逆で2時間しか眠れなかった。昨日は泥のように寝てしまい後悔したけど今日は泥のように起きなければならず後悔した。ギリギリな感じで起きた。前の日の晩にずっとモヤモヤしてたせいだけど。特に何をするわけでもなく、ただモヤモヤしてたら夜更かし。ていうかももちの可愛さかっこよさとかをいくら私が伝えようとしたところで私みたいなやつじゃ説得力なさすぎてたぶん結局ダメなんだ。この申し訳なさ。アイドルももちのことが好きで尊敬していてそれだけでやってこれたような人間のはずなのにそんな尊敬する相手と真逆すぎる人間。ハロコンでももちは“人間皆 好きになれ 人生は一回”と歌った。歌ってくれた。私たちに向けて。なのに私ときたら。好きになるどころかほとんどの人間が怖い。ていうか人間ってなんなんだ。なんか気味が悪い。ライオンとかの方がまだなんとなく可愛げある。道行く人にすれ違いざま殺されるかもしれない。それは滅多にないかもだけど社会的、精神的には全然ころされそう。ころされる。そんな気がする。気がしてる。ジワジワジワジワ精神にきててそれが溜まったら急に死んでしまうかも。逆に殺してしまうかも。そう私も結局人間だから。なんかみんな冷えた目をしている。ような気がする。被害妄想。わかっている。でもなぜか治せない。だけどそんなのをほとんど感じさせない人もいたりして。コインランドリーに併設されたクリーニング屋のいつも眠ったようなおばあちゃんとか。深夜のドキュメンタリー番組に映ってた田舎の床屋のおじさんとか。この間見たどこからきたのかわからない子供とか。どこかの国から来た外国人とか。桃色のアイドルとか。、、一つ思ったことがあって。こんなダラダラと意味もなく何か書こうとしてるのは何か残したいからなのかもしれない。私も明日死ぬかもしれないし。まあ昨日、6月までは死ねないと書いたばっかだけど。書いたのは書いたし思ってるのは思ってるけど。でも死ぬ可能性もないとは言い切れない。私の誕生日はジョンレノンが殺された日だし。関係ないよな。意味もなく雰囲気だけでかっこつける悪い癖だ。だけどもし明日誰かにいきなり殺されたとしても、とりあえずここまで書いた分、今のところ書き残せてる分だけで私がももちのことが好きだとは伝わるかな伝わることを願う。まあ肝心の伝える人がいないけど。でもそれでもいいとにかくここに一人おとももちがいるということをとりあえず記録できてるとは思う応急処置で。そして明日3月6日は嗣永桃子さんのお誕生日。私は結局もうダメな人間ダメ人間だ。そうやって自分で言い切っちゃうこと諦めてることそれこそがこれ以上ないくらいにダメな証だ。どうしようもない。どうしようもなさすぎる。でもそんな自分という人間のどうしようもなさと同じくらいどうしようもないほどももちのことが好きで。憧れで。私は未だに自分が生まれて来た意味を見いだせてなくてモヤモヤしちゃってるこんな感じですでも少なくとも、ももちこと嗣永桃子さんは多くの人を自らの光で照らしてきたザ・アイドル。なんかやけに、どうしようもない人間の神頼みの対象みたいな書き方になってしまってるけど、別に神格化したいわけではなくて。神様でも仏様でも女神でもなく(先日出演されたラジオで天使である可能性は仄めかされていましたが)やはりアイドルなんだと思う。自らの努力でその道を前進しそこには数多の苦労が付きまとうはずなのにその苦労の果てにパフォーマンスで周りの人を幸せにする。この凄みを容易く神格化なんてできない。人間として尊い。そして何よりアイドルとしてかっこいい。可愛い。美しい。アイドルの中のアイドル。そんな方が生まれてきてくれて、そしてアイドルになってくれたことはやはり紛れもなく有難いことであり当たり前ではない。なのでお誕生日もやはり祝われるべきで。そして私も、そういった素晴らしい人と同じ世界、同じ時代に生を受けたということはやっぱり感謝すべきだと思うし。私自身の存在価値はまだわからないままだけど。それでもそのいろいろな感謝をせめて6月まで生きることによって強く持ち続けていたい。わからないままでも走りぬけてみたい。ももちについていける足腰がまだ自分にあるのかすらもわからないけど。わからないなりに。わからないままでも。モヤモヤしながら走りぬけたい。モヤモヤしてても走りぬけないといけない。と今思った。やっぱり後悔するかもしれないから。すでに底辺で諦めてるようなダメ人間でもまだ後悔することがあるかもしれないから。ももちがアイドルとしてステージに立ってくれるのはもう今だけだから。だからこうして書いてるのか。ダメ人間だけど。ダメ人間だけど書いとけば後になって過去の自分を恨むこともない。逆に未来でなぜか奇跡的に少しまともになった自分がこの落書きを見てその痛さに恥ずかしくなるかもしれないけど。その時は消せばいい。そもそも趣味がツイ消しの人間なんですよ私。だから消すのは得意分野だと思うので。自分のしょうもない過去とかを自分の脳みその奥の方の異空間に無理やり全部放り込んで歪めて汚く美化して戻すみたいなの多分得意なので。あと最悪の場合はだいたい過去ってなんだそんなもの私知らないし存在しないからとか言ってればいいし。だから大丈夫。あの福田花音さんもツイート全消去した後Berryz工房の記念日だけ祝いに戻ってくるという粋なことしててすごいかっこいいと思った一昨日。だから私もいざとなったら真似しよう。かっこよさは真似できそうにないけど。まあとにかく。どうしようもなさからか胸のつかえからか焦りからか深夜の変な勢いからなのかこんな文を書いてたけど。もう日付変わってしまうから諦めよう。今回もまた諦めで終わるのか。ほんとどうしようもないなあ。ももちに出会ってももちを好きになったというそのこと以外で誇れるものが何もない。でも生きてる。今のところ生きてる。数分後の明日は3月6日。ももちの誕生日をお祝いしないといけないからとりあえずまだ死ねない。殺されても死ねない。こないだもカントリーガールズの新曲聴かないといけないからまだ死ねないとかももちが写真集出すからまだ死ねないとかいってたなあ。それ繰り返してたら割といくところまではいけるなあ。めっちゃめんどくさそうなのに。めっちゃめんどくさそうなのにいってしまう感じがある。ズルズルと。モヤモヤと。死にたいって言ったり生きたいって言ったり。まあこれがいつもの感じか。あーなんかとてつもなく自分語りになってしまってる。しかもどうしようもない人間の。なんでだよ。真逆だよ。ももちこと嗣永桃子さんの愛おしさの話だったのに。まあももちは今日も明日も人間として可愛さを更新してゆくという話でした。無理があるか。ももち。嗣永桃子さん。お誕生日おめでとうございます。


、、あー。今日、日曜日か。カントリーガールズのラジオ聴かないと。コンビニで買ってきた30円引きのケーキ食べながらラジオ聴こう。そんですぐ寝て早く起きないと明日も仕事だし。あー。明日も泥のように起きるのかー。あの瞬間が一番死にたい。行きたくない。行きたくないのに生きたい。生きたいから行かないとなー。とりあえず生きるためにとりあえず食うためにとりあえず行くしかない。そんでとりあえず帰ってこれたらとりあえず写真集を開きます。とりあえず。